ivataxiのブログ

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新居 ホルト通り 地蔵道 新居弁天 舞阪おうかん通り

新居 ホルト通り 地蔵道 新居弁天 舞阪おうかん通り

「紅葉寺跡」までは歩けましたか?それはよかった。新居の関所は抜けれる人とそうでない人の分かれ道。現在、海側に「ホルト通り」という広くて比較的まっすぐな道が東西に伸びます。「紅葉寺跡」の若い兵隊さんたちは、このホルト通りより南の海岸近くに「ざんごう」(前回、だんごうと書きました。シツレイしました)を掘ったようです。奥浜名湖には「瀬戸に落とされた戦車」の「独立戦車部隊」があったようで、万一の場合、迎え撃つつもりが広島・長崎が先でした。ホルト通りの広さと長いまっすぐな道は、江戸時代ではなく戦中「飛行機が離着陸できる道」の想定だったのでしょう。もっと東に進み、途中から「地蔵道」と呼ばれるクネクネした海に近い道があります。でも、現在、地蔵は見えません。かつてここにお地蔵さんが並び、手を合わせる信心深い村人も行きかったのでしょう。まだ東へ向かうと「浜名湖の岸」に出ます。海に向かって松並木。現在は「今切れ大橋」のバイパスが新居弁天と舞阪を結びますが、明治までは松並木を通っても舞阪には迎えなかったでしょう。新居の関所は最初「陸移動の関所」だったのが、地震津波で新居と舞阪の中間が切れて「今切れ」と、地名に当時の震災の名残を残しました。海岸線より南は「浜名川の川向こう」が、海底に沈み、橋の痕跡で「橋本」という地名が陸地に移動して残ります。舞阪漁協には、新居弁天に向かって緩やかに海中に没する不思議な道の痕跡が。おそらく、松並木はそこにつながったのでしょうか?舞阪本陣のある「おうかん通り」は、平和な震災前の江戸の繁華街跡でしょうか?