ivataxiのブログ

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お粥

大阪では「粥」のことを「お粥さん」と呼ぶ。「月」は「お月さん」だし、京都なら「お月はん」かも知れない。東京だと「粥」か、せいぜい「お粥」かも知れない。お粥は「おかゆ」と発音するのだが、「お」を取ると「粥」となる、「弓」2つに「米」が挟まれているのはどうしてなんだろう。お米が社会的に生産され始めた頃には、搾取される側と搾取する側ができたことだろう。山の物と海の物を物々交換したり、小さなムラという集落のなかで、小さな社会を長老が束ねる社会は、石器・青銅器・鉄器と、より固く、武力としても攻撃力の増す農機へと変わる。計画的にすべての米を食べるのではなく、蔵を作って保存したり、蒔くための種籾として残したかも知れない。ネズミに食べられないように、蔵は「高床式」になり「ねずみ返し」などの工夫もされた。搾取する側は次第に力を蓄えて、隣の権力者たちとの力比べがしたくなるだろう。戦とか諍いが生まれたのもこの頃かな?小さい集落を束ねて行くと、集落とは呼べない大きな組織となる。だが、まだ「クニ」とは呼べない。男たちが収めると血なまぐさくなり卑弥呼という女性が占い・呪い・祈り・儀式などで収めた日々は他国の歴史にようやく残ることになるが、今ではそこはどこなのかも定かではない歴史ロマンなのである。卑弥呼は土着の神や自然神を祭ったのではないかと思うが、日本は「神の国」と、以前の総理もおっしゃったことがある。古事記が真実なら神々が作ったということだろう。未だに日本では、お米を食べていて、少し消費量が減ったとはいえ、外国との間に諍いでもあれば、途端に食料が入って来なくなるから、自給に適した米や芋は主食になるかも知れない。古事記も口伝伝承と聞いた。それを後々の為政者たちが、都合よく改変して現在に残っている物は活字で製本もされている。古事記の世界でも布を織ったり・農業もあった。でもそれを中国からの漢字にするまでには時代が遡ることになる。弓と弓で米が挟まれている「粥」という漢字は、そんな権力者たちが蔵に保存した権力の量を推し量る「米」を、軍事力である「弓」で挟んで守ったということを具象化した文字なのではないだろうか?今では「お粥」は風邪などで食欲がない時に、硬い米ではなくほとんど水分の中にわずかなお米を入れて形が無くなるくらいに煮立てた物ということだが、かつてはお米を食べる階級は庶民ではなかった。皇室の食事でさえ米があっても魚や野菜など現在よりも粗食だったようで、ならば庶民の食事などは歴史にも残らない程、悲しい栄養源だったに違いない。文字と関係のある上級官僚たちの食事の中にお米を食べるという贅沢が許されたのではないあだろうか?なので弓で米を守るという形が「粥」となってもおかしくない。まったくの根拠もない持論なのだが。