ivataxiのブログ

絵 文章 映画

金の価値

金の価値


兌換紙幣・不換紙幣というのは「結局は金と替えて価値はどうなのよ」という貨幣のことなのだと思う。金を全財産で持ち歩くといいという話ではない。そんなことすると銀行が困るし、強盗と警備会社が喜ぶ。強盗事件などのニュースがあふれて「その程度じゃ事件と呼べない」と却下される、事件不感症社会となるかもしれない。
「原始時代は腕力のある男が女の髪の毛を引っ張って、大きな石のお金を転がしていた」というのはギャートルズ的マンガの世界。でも、石を貨幣とする国もあるだろうし、物々交換もアリということもある。
鉄は錆びるけど、金は錆びないし何だか綺麗だからか古来から権力者・お金持ちは好んだ。(近年ではダイヤという選択肢もあるが)
神・仏を賛美する過去の絵画でも、やたら金色を使った。
エジプトのピラミッドの中にも金が使われていたようで歴史はある。
ジンギスカンは今年の未年のキイーとなる食べ物。いや、それだけではない。ユーラシア大陸を馬で移動しながら広い支配地とした時代があったと歴史で聞いた。戦うには地べたを歩くより馬を使うのが有利だ。だが、大量の財宝を持ち歩くには馬の機動力を削ぐ結果となる。
中国で紙への印刷i技術が進んでいて(この頃の中国は火薬なども進んでいた)財宝の価値を示す印刷された紙で、金との価値を示すという代用品として使われたのが紙幣の始まりとも聞く。
小さな移動範囲の街ではコイン(これも金貨から銅貨など純粋な金に変わる小さな価値基準で日常的に使われた)でも良かった。
プラスチックマネーというカードは信用を磁気でカードに刻印した物だが、最近は、さらに色んな情報もチップなどでカードに封印できる。
IT化が異常な早さで進化して国をまたいで世界中で貨幣の価値基準をデーターで示す技術が進んだ。お陰で、世界のもうかりそうな貨幣を自宅から換金できて儲ける人も増えた。自動で価値変動を機械が勝手に判断してさらに儲けるシステムもあるようだが、同じシステムだと同じ変化に同じ対応となり、世界中で急変に対して急激に対応してしまうということもある。過剰反応とでもいうのだろうか?
ヨーロッパでは国を越えて使える価値基準のユーロという通過が今は安定的に使われている。円とドルの変化の早さに比べて、ゆったりと穏やかな貴族の振る舞いのような貨幣だ。だが、ここ数日、フランスでの事件、デモ、スイスの信用基準の急変などで、異常がヨーロッパに暗雲を立ち込めさせている。比較的安全とされる日本の円と国債に換金されるという動きが早い。パチンコの出玉を一旦、交換所でさもないお菓子に替えて、別なばしょでお金に換金するという過去のパチンコ景品交換システムに習ったのかも知れない。(ぼくはパチンコしないのですが)
原油を安く見積もられれても、シェールガスを潰すまでは減産しない」というような番組をさっきNHKで見た。超大型経済大国の国家間の考えと行動のウラというのは、子供同士のイジメや喧嘩にも似ている構造のようなのだ。ネットで様々なエネルギーや金や貨幣などの価値基準が、瞬時に世界中で共有して変化を見ることができる今、エネルギーも金のような価値基準の一端を担う存在となったのかも?
金の価値基準がグラフで変動して見えるのだが、本当は金が価値基準のモノサシだったはずだったという入り口はとっくに忘れ去られてしまっているようだ。