ivataxiのブログ

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魂 剥離

手術のあと意識が戻り良かったという頃。ベッドそのままを転がしてCTやMRなどを撮りに行くことが多かった。それまでも本人の知らない間に何度も同じようにしていたようなのだがベッドで通路を運ばれると通行人・見舞い客・患者・病院関係者が移動式ベッドのぼくを上から見下ろすのだ。まだ魂と肉体がつながったばかりの身としてはこれはとてもつらい体験だった。好奇心むき出しの目が心身ともに生死をさまよう瀬戸際の肉体に注がれるということはレーザービームの集中攻撃を受けているようなものだ。ベッドを押す看護婦さんに「目を閉じれば気にならないわ」と教わった。だが肉体と魂の狭間がまだあいまいな頃だったぼくは一旦目を閉じるとタマシイと肉体の分離が始まるようだった。ベッドに乗っているはじのぼくの肉体から少し離れた位置に空中にカメラがフワフワと浮いているように感じて見えるのだ。勿論目は閉じているから本当は何も見えるはずはないのだがカメラでは考えられないアングルにフワフワと浮いて見える時「やはこれはカメラとは違う」のだと思うのだ。

数日は現実としての最悪の肉体的苦痛との対決だ。次第にチューブや機械なども肉体から外されて遠ざかるのだがベッドには鍵の見当たらない拘束具で腰を固定のまま真上を向いてずっと寝たままでいた。毎日家族はなるべく少しでも顔を見せて見舞いに来てくれた。だが「明日はどうしても来れない」といわれた。その時は「いいよ」とものわかりよく答えた。だが肉体と魂の関係はヒザをすりむいた時にムキ出しになる皮膚の下の部分のように敏感だったようだ。「明日は来ない」という言葉を聞いたあと肉体から意識・タマシイが離れたようだった。意識というのは今まではタマシイ(タマノオのついた)のことだったのだが今回は違う。タマシイ(タマノオのついた)とココロ(タマノオのついていない)が分離して肉体から離れたようだった。(だからできるだけ患者さんのお見舞いには行ってあげてね)

どうして分離したと思ったかというとタマノオの付いた魂とタマノオのないココロが同時に互いの姿を確認したからだ。ココロの見た魂はイッタンモンメかサンショウウオみたいだったが魂の見たココロの姿はいたって人間らしい。但し非常に弱弱しいし実際の自分とは別な姿のようだ・・むしろ美しい。魂にはタマノオがついているから自力で肉体に戻れるしエネルギーも十分なので活動的だ。一方ココロの方はまるで小さい子供のように誰かが救ってあげないと肉体に自力では戻れないようだ。しかも霊という存在に近いのか壁や時空を通過できる能力はあるらしくすぐにどこかへ移動して魂からは見えなくなった。しばらくココロの抜けた肉体と魂だけのいわゆる植物状態に近くなっていたようだ。