ivataxiのブログ

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ボクでもパソコンが使える時代

高校では数学の1「因数分解」でつまずいて、夏休みの補習を受けた。0点を2回取ったのだ。中学3年だけ個人塾に通い英語・国語・算数を見てもらったので、算数は得意だと思っていたが、塾を辞めたら元の木阿弥になった。数学は、高校1年の補習の段階で捨てた。当時、理数系が人気でその真逆のクラスになっていた。欄外科目の体育・美術が比較的良かった。体育大学に進むには体が小さい。という訳で遅まきながら美術系を目指すことになる。数学は嫌いな授業だが、先生が「将来は、みんながコンピューターを使う時代が来るかも知れませんよ」と、当時は考えられないような夢物語を語った。当時、紙に穴あけをしたデーターで大きな磁気テープの巨大な機械が必要で資本がないとコンピューターもプログラマーキーパンチャーも雇えなかった。理数系の大学に進んだ人が「ぼくはベーシックを学んでいる」というが、とても難しそうであった。神奈川のデザインの専門学校に出張講師で来た先生が蒲田の「製品科学研究所」という所の人だった。専門学校の先生で芸大大学院の生徒を掛け持ちする人も良くそこに行ってたので、一緒について遊びに行った。まだ、グラフィックができるコンピューターがNHKとここだけしかなかったのだ。「君はコンプレックスが強いから大学に行きなさい」と、いわれた。彼も芸大を出ていたのでデッサンは見てくれた。「このコンピューターを動かすにはフォートランを学ばなくては」といわれ古本屋さんで探した。とても因数分解さえ理解できない頭では無理。大学を受け直しデザイン会社に就職。2年半で辞めたのだが、辞める時に一台パソコンが入った。「コピーライターが来る」という話で、今で言うワープロができるということが特別な技術として見られていた頃だ。会社を辞めて、店を始めるのだが商売はわからない。富士通9450-2・1988年にms-dos・リコーマイツール・1996年初めてパフォーマ5270でmacに出会う。相変わらず「因数分解」はできないが、そんなボクでもパソコンが使える時代が本当に来るとは高校1年の数学の先生が話した頃には思いもしなかった。