ivataxiのブログ

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れもん

セコニック前の商店街に少しづつ話のできる店ができた頃、
少し大きな町である大泉学園の画材店(今ある?)にも良く行くようになる。
すでにお茶美に通っていたのだろう。ここで「ブルータスの石膏像」を買った。
当時、親の仕送りと同じ金額だった。イーゼルや油絵の具も買ったかも知れない。
バスで運べないから、そこの店の旦那さんが叔父さんの家まで届けてくれた。
後に、参宮橋に引っ越す時も、この店のご主人が
「大変だね」
といって、休日にトラックで運んでくれたのだ。
叔父さんの家でブルータスを描くことはなかった。ただ眺めていただけだ。
結局、みんなが描いている環境でだけデッサンはした。
色んな石膏像がある。
作品ができるたびに、芸大生のバイトみたいな先生が厳しく講評する。
的を射ているだけに厳しい言葉に消えてしまいたくもなる。
夜間のデッサンに来ている人は多くが仕事をしながらだった。受験の男の子は一人だけだった。
「別に大学行くんじゃないから、俺なんかいつでもここを辞められるんだ」
とかいいながら、みんな続くのだ。つまり好きなんだ。
夜間の受講なので、昼間に御茶ノ水近くの喫茶店で集まって話したことが一度だけある。
みんなお金がないから、一杯のコーヒーで粘る。
会話にはセザンヌが一番多く登場する。油を目指す人はセザンヌのコピーを一度はするようだ。
ゴッホルノワール・ダリ・・・。
会話だけ聞いていると「ここはどこかの大学の教授たちの集まりか?」と錯覚する。
みんな良く学んでいるのだ。
一人、デザイナーになった人がいて「あいつは堕落した」と言うような所だった。
純粋芸術は保護されていないのだ。
御茶ノ水には「歌声喫茶」もあり、仕事しているお金持ちの人たちは、そちらに行くようだった。
神田川も流れていたが「神田川」という歌はまだなかった。