ivataxiのブログ

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葉っぱ

葉っぱ

街路樹の名前は知らないが、車で走る時に街路樹は渋滞の退屈さを紛らわせる物の一つだ。夏のはじめ頃には信じられない位に枝をはらった。枝と葉っぱのない街路樹はぶっきらぼうな棒杭みたいに等間隔で道端に並んでいた。少しの間、そのことを気にもしなかった。何となく街路樹を見る。すっかり以前のたくさんの葉っぱが豊かに生い茂っている。全てが新しい柔らかい葉っぱで、心なしか太陽の光も薄く明るい緑に思えた。
葉っぱは太陽の何がしかの利益を得るために太陽が世界を覇権する夏には大量に欲しい。だが、秋になり日照時間も角度も変わる頃には温度も下がり始める。必死に木の本体にエネルギーを贈り続けた葉っぱはにわかに「邪魔者」に変わる。すると木本体は葉っぱとのコネクトを絶つ。「くっ苦しい」という絶命寸前の悶えあがきが、あの美しい紅葉として人間には「あわれ」と見えるようだ。「これから太陽からの収入が減るんだから樹木本体を守るためなんだから当然さ」と、樹木は冷徹だ。何しろ赤い血が流れていないし脳味噌もない。かくして寒く長い冬を越えると、また何もなかったみたいに葉っぱを蓄える。この繰り返し。
待てよ、こんな情景どこかで観た。赤い血が流れ脳味噌もある人類も社会や家庭や企業で同様なことをしてはいないか?なんだ樹木とそう変わらないではないか?
アリの世界でもそうらしく、木の上でないと社会生活を送れない種類のアリが「まだ働けるが病気がち・働きの悪いアリ」を、木から落とすのをテレビで見た。
木の下にそんなアリが積もって小山になる。その亡骸も地面の滋養となって、結果的にはアリと共生する樹木の栄養にもなる。自然は冷徹で無駄がない。