ivataxiのブログ

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入院散歩

一人で歩く
車椅子二日目。すでに医師からは「どんどん普通の人のように立って歩いてみて!」という指示があり、看護婦さんたちも、そういう風に見ているらしく、一人で歩くという努力に関しては、危なくなさそうならば皆「見て見ぬフリ」状態なのである。ベッドから最初に足を着いた時のピリピリした痛みは薄らいでいた。だが、何にもつかまらずに、一人で足で立つということが、かなり勇気のいることだと思えた。立つだけでなく、体を揺らさないようにバランスを取り、片足立ちして、二足歩行へと移行していかなくてはならない。「二足歩行のロボットたちも、多くのエンジニアたちの見守る中、二足歩行を果たしたのだろうな?」などと、ロボットの気持ちを推し量ってみたりもした。点滴スタンドにはコロがついているし、通路には手すりがある。誰かの車椅子を押すというのもなかなか良い。でも、とにかく、車椅子二日目から二足歩行に移行した。自分のベッドのあるフロアに限られてはいるのだが・・。

食堂
フロア内に限り、散歩が許された。時速2キロ位のスピードしか出せないものの、みんなそんな感じなので、あまり後ろめたくはない。エレベーターの周囲を回る「周回コース」と、病室の端までの「直線コース」とがあり、それを組み合わせて散歩コースを練る。というのも、すぐに飽きてしまうのが問題なのである。ただ、同じフロアでも「食堂」には無料のテレビ(ベッドわきのテレビは有料)や、週刊誌・マンガなどが置いてあるからうれしい。コップを持参すれば「暖かい日本茶」だって飲める。しかも、見晴らしもそこそこ良いのだ。ただ、手術までの待ち時間をここで過ごす家族たちの、話の内容が聞こえる。時には、泣いている人も見かける。そんな時には、場所を移す・・。それが、二足歩行患者の暗黙のルールなのであった。

エレベーター前
周回コースであるエレベーター前には、ガラス張りのちょっとした「展望コーナー」が用意されている。そこには、心地よい座り心地のチェアー(とても西洋風のイス)が適当な間隔で並べてあるのだ。エレベーターの逆側も実はエレベーターなのだが、そちらは「業務用」として、医師・看護婦さんなどが、ベッドで患者さんを移動させたり・・などに使われている。その正面が愛すべき「食堂」である。周回コースは「右周り(時計周り)」と「左周り(反時計回り)」のどちらかに自然と分かれる。多くはなぜか「右周り」のようで、ちょっとしたダンゴ状態で、抜きつ抜かれつのスピード競技へと発展する。どうも、そういった「タイムトライアル」は「ハァハァ」するので、好きになれない。なので、あまり同じ方向に歩く人の少ない「左周り」をついつい歩いてしまう。時には、ベッドでの移動団体に道をふさがれることもあり、そんな時には「右周り」となる。病院の通路にはそこここに「秒針まではっきり見える丸いアナログ時計」が、設置されている。正確な時を刻んでいるので、歩いて移動しても、常に「今何時?」などと、ボケた質問をせずに済む。その時計で「自分が歩きだしてから今、何分経ったのだろう?」と、確認・自問できるのだ。だから、エレベーター前周回コースでは、タイムトライアルというよりも「エアロビクス系エンデューロー」を楽しんでいるということになるのだろう。

 

タイムトライアル
いくら秒針まで見えるからといって、なかなかそこまでは役に立たないアナログ時計である。やはり、手持ちのストップウォッチがあると、もっと良いのだが・・。といっても、病院にスポーツをしに来ている訳ではないことに思い当たった。自分の体内時計で秒数を推し量り、エレベーターの周回コースを「タイムトライアル」したことがあった。前回よりも一秒でもタイムを縮める・・・。そういう考えで始めたのだ。だが、つい数日前までは24時間「拘束具付きベッド」に上を向いたまま寝ていた人間のするべきことではない。「前回以上に早く」という考えでは、次第に足がもつれ、下手をすると転倒しかねないという危惧に思い当たった。「転ばぬ先の杖」・・。タイムトライアルを辞めたのはそんな訳である。エアロビクス系の「有酸素運動で何分動き続けたか」という考え方に変えた。途中食堂でテレビを見たり、水を飲んだりして、ともかく「ゆっくり、長く有酸素運動」するという方が多くの患者さんにとっては楽なのではないかと思えた。「楽」といえば「依存心」というものが、患者さんの側に強くあり「可愛そうだから」と、つい何でもやってあげてしまう、ご家族・看護婦さんの側の関係が強く働き、それが長期化して半ば習慣となり、やがて常識化するというのは、回復ということに関しては問題のように思えた。でも、動けない時には、どうしても第三者の助けがいる・・。それも動かしがたい事実なのである。

展望スペース
「エレベーター前には展望スペースがある・・」と、以前書いた。散歩コースで何度も周回するのだが、そこに設置したイスには色んな人が座るのだ。「患者さん」「見舞い客」が主なのだ。見舞い客の中には、患者さんの容態が思わしくないのか、病室では決して見せない「涙」を流しに来るという場面もある。携帯電話で、ずっと話し込む・・あるいは、メールの画面に見入る人たち。やって来てくれた見舞いの人たちと、心置きなく大声で話ができるのも良い。自分や家族のことを思いつつ、景色が夜を迎えてもそこにたたずむ患者さんもいる。患者さん同士、入院生活で知り合い、半ば友人のように話すひとたち・・。色んなひとがやってくる。深夜にどうしても眠れない時にもここに来る。昼間はそうでもないのだが、深夜遠くの町明かりは美しい。また、夜が明ける頃と、夕暮れ時のオレンジがかった風景も、いつ見ても美しい。散歩で良く見る顔が、ここに座っていたので話しかけたら「生返事」だった。反対側の耳には「イヤホン」が・・。どうやら、ここは電波の入りが良いらしく。ラジオを聴きに来るという人もいる。邪魔してしまった!

 

時間散歩
車に乗らないで、自転車にも乗らないと、あまり遠くに行こうとも思えない。入院生活の狭間なので、主に徒歩である。ようやく30分くらいは出歩けるようになった。「良かった」。今日、一時間ほど散歩をした。「足が棒になる」という言葉を「本当だ」と実感した。また、背骨や腰の骨まで棒になって、伸びきってしまっていた。昼寝にすかさず移行・・やはり一時間ほど寝てしまったのであった。

エレベーターの立ち位置
「一杯70円の紙コップコーヒー」を、自販機で買って飲みに、一階まで降りる。なかなかエレベーターには乗れないから、たいてい下りは階段で。しかし、のぼりも階段で・・と、口ではいえても実際にやってみると「はぁ~はぁ~」いう。だから、多少待っても、エレベーターなのである。「業務用」および「車椅子優先」のエレベーターを独占しようものなら、何となく視線が背後に痛い。だから、多少長く待っても、普通の人に混じって乗る。エレベーター内側の開閉部から30センチ位の所だけ、内張りがはげて色が違って見える。まるで「ここが、みんなの立ち位置だよ」と、書かれているみたいだった。

車椅子を押す
寝たきりから、車椅子になり、同じフロア内なら散歩できるようになった頃のこと。元同じ部屋だった人たちの中で、どちらかの半身が不随意の人の車椅子を押したことがある。やってみるとわかるのだが、車椅子は両方の手で同じ力でタイヤを回さないと曲がってしまう。だから、まっすぐに進みたくても、どちらか一方の手でタイヤを回すと、直進できないのだ。健康な方の足を使い、足でブレーキのようにしながらゆっくりしか移動できない。「同じ部屋でしたよね」というと、わだかまりもなく車椅子を押させてくれる。看護婦さんが「○○さん、ご機嫌ね!」という。だが、同じフロアまでなので「エレベーターまでだけど・・」と、断る。少し淋しい空気。もう、一人別な人は「売店まで行けないのなら、何か買って来てやるぞ!」と、言ってくれた。何も思い浮かばなかったので、申し出を断った・・。でも、嬉しそうで、家族に話したのか、それまでお話しなかったご家族の方から、初めて声をかけてもらえたりした。車椅子の目線と散歩の目線が違うからか、あまり接点はないのだが・・お互い様だと思えた。


フロア外散歩
「郵便物をポストに入れて行ってもらえませんか?」と、看護婦さんに頼む。まだ、フロア以外には出てはいけないからだ。エレベーターで一階に下りることができれば、そこからそう遠くない所にポストがあるのだと、何人かから聞いている。だが、自分の住所・相手の住所の書かれた郵便物を人に出しに行ってもらうというのも考え物である。勇気を出して「・・・という訳で、一階のポストまで行きたい」と、回診の医師に聞いてみた。少しして「OK」が出た。その医師と「ハイタッチ」したい気持ちを抑え、小さく頭を下げた。内心は夢のようだった。何しろ「自分で書いた手紙を、自分の足で出しに行ける」のだから。妻が「会計を済ませなくては」というので、会計のあるフロアまでエレベーターで降りた。考えていたのとは違う!何となく人ごみが「ゴミゴミ」して「ホコリっぽい」感じがした。「ここは病人の来るところではない」という直感があった。しかも「支払い」というくらいで、多くのお金が支出される。お金が逆に入ってくるなら嬉しいのだが、支払ったあとは減るのだなぁ~などと、漠然と考えただけで、また、病気になってしまいそうだった。でも、ポストに行けた時には、興奮したし、一階の図書スペースには同じフロアの食堂にはない、もっと多くの世界の本が置いてあった。だんだんだが、普通の人の生活するエリアへと、足を進め、行動半径を広げてゆくのかなぁ~?と、漠然と思った。