ivataxiのブログ

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70年代 カタログ文化

70年代 カタログ文化

70年台。360円固定相場の1ドル時代が長く続く。80年代に固定相場が崩れて、日本人も海外へ出かける時代が訪れるのだが、まだそれは先の話。途中「1ドル70円台」のデフレ時代があったが、それは70年代日本人には理解できない異次元の未来。何しろ360円固定相場が当然の長きトンネルの頃。アメリカの兵隊さんがヨコスカ・ザマなどには存在していた。村上龍の「限りなく透明に近いブルー」には生臭く表現されていた。まだぼくは大阪の高校生。関東もキャンプザマもFEN(極東放送)も知らない。カタログ文化真っ最中の深夜番組フリーク。ジーンズもリーバイスとか見るだけ。それににたバチモン(偽者)を母が近所のスーパーで買ってきたのをはいていて、本物のアメリカのジーンズをはいた同級生にバカにされていた。何しろアメリカのものは高い。だからお小遣いの少ない高校生は「カタログ」で見るのがアメリカとのつながりだった。「五輪真弓」さんは歌がうまかったから好き。ということもあったが、米軍基地に出入りしていてアマリカの香りがプンプンしたことも好きになった要因だったのだと思う。あのビジュアルが女性観の根底になったのはどうなんだか。「少女」という歌が好き。専門学校で神奈川に住むようになった1975年。渋谷「ジャンジャン」というライブハウスでナマの彼女を見たときには鼓動がバクバクした。だが、ファンレターの返事が印刷のDMで添書もなくてがっかり。以来、ファンレターなんて書かなくなった。「ジーンズ」についての本は読んだ。持つことはできなかったからせめて知りたいという方向へ路線変更。当時の若者はジーンズをはいた変な老人へと変化していたり。