ivataxiのブログ

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ゴッホ

ゴッホ
司馬遼太郎の解説の入った画集「ゴッホ」を見た。「まだ、自分の中にある天才に気付かず、普通に画廊で働き、他の画家の絵を眺め、道を歩いても誰の印象にも訴えない頃の若いゴッホがいた。当時は、神父の職を目指していたし、弟から絵の勉強をするべきだ、と手紙で書かれても意に介さなかった。その頃のゴッホのことを思うとウズウズする」というようなことが書かれていた。司馬遼太郎の寿命がもう少し長ければ、そんなゴッホの伝記が生まれたのだろうか?
ゴッホ2
変わり者であまり徒党を組まない印象のゴッホ。だが、その内面には「グループを作ってムーブメントを起こしたい」という野望がずっとあったようだ。結局、ゴーギャンが一時一緒に住んだが、最悪の結末へと向かう序章となった。パリで親交のあったロートレックが、絵を売る仕事をしていて、ゴッホの絵を悪くいう顧客に決闘を申し込んだという。徒党を組むことには失敗したゴッホだが、心でつながる理解者はいたようなのだ。


ゴッホ3
ゴッホは一時両親と同居した時期、ある意味最悪の人間関係だったのかも知れない。偶然、母親が怪我をした時、誰もが関わろうとしなかった。だが、ゴッホは今でいう介護をやってのけた。以来、変人として近づかなかった隣人も一目置くようになったようだ。炭鉱の町で宣教師をしていた頃、けが人がいると率先して助けるような一面をゴッホは持っていたようなのだ。後世に画家として名を残した彼だが、現代に生きていれば「心優しい介護士」などの職種もありえたのかも知れない。絵に到る変遷で「神に身を捧げたい」という思いを持ち続けたのに・・神は「絵を描くこと」でしか、彼の存在を許さなかった。まさに、神の選んだ画家なのかも知れない。


ゴッホ4
良く自画像や静物画・風景を描くゴッホ。彼はそういったジャンルを好む画家だったのだろうか。もちろん、すぐれた才能を発揮しているのは絵を見れば明らかだ。彼は平気で服をだらしなく奇抜に着こなしたし、行動も常軌を逸したようなことが残っており、食事よりも画材・酒・タバコなどに全てを投げ出す結果、ガイコツみたいにやせ村人などが恐れたようなのだ。お金がないとちゃんとしたモデルを雇えないから、一般の人に頼むにしても、恐れられているので「郵便配達人夫婦」のように彼を理解した人でないとモデルになりえなかった・・そんなことも、彼を人物画以外に向かわせることになったのかも?


ゴッホ5
狂気と常軌を逸した行動のピークは、ゴーギャンに対して刃物を持って近づいた一件が有名。結局、刃物で自分の耳をそぎ落とすという結末。死に到るピストルの怪我も、最初は人に向けた銃口だったようで、もう一人の制御できないゴッホという人格が存在していたようなのだ。決して人を害しようという気持ちのないもう一人のゴッホが、一つの肉体を交互に出入りして、混乱したことだろう。現代なら、きっと難しい病名を付け、治る症状だったのかも知れないのだが。当時は「もうあまり長く生きれない」と、どこかでゴッホ自身覚悟があったのかも知れない。