ivataxiのブログ

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曲がったクギ

曲がったクギ

 

「糠にクギ」とは 柔らかい所に硬いクギを刺しても効果がないということか?小言などをいってもダメな時に使うようだ。 「クギを刺す」とは、新たな人間関係の構築の際、先輩・年長者などがあらかじめ注意点を、はっきり、あるいはあてこするようにきっちりいっておくことの形容詞的表現だったりする。とすると「クギ」って、あまりさわやかな表現ではないのかも?ぼくは大工仕事がダメで(他にもダメな物をあげると枚挙にいとまがないが)専門学校時代に最初に購入させられた大工セットもほぼ使わないままだったから、出入りしてくれている大工さんに「こんなのでも使えます?」といってさし上げた。「弘法筆を選ばず」というではないか?今の大工さんは、ネジを緩めるのも締めるのも動力を使う。クギも「パチンパチン」と、機械で打ち込む。だから施工が早い。日曜大工で木の板で椅子を作ったことがある。出来上がりは単なる直方体の箱で、やけに重い。しかも加工がヘタで、まっすぐに切れないし、クギも飛び出たり、しっかり止まらなかったり。そういうのを知っていいる家人は大工仕事は外に頼むようになったのかも知れない。(他にも色んな男仕事は外に頼む)クギを最初に刺す時、キリで当たりをつけるといいのかな?さきっちょをそこに立てる、できるだけまっすぐ。狙いをつけて金槌を振り下ろす。クキっとクギは曲がる。ささやかに曲がる時もあるし、後戻りできない程に曲がることもある。釘抜きで抜いて、曲がりを金槌でまっすぐに矯正しても良いが、いまどきはどんどんクギなどは消耗品として新しいのを使う。「まあいいか」と、曲がったクギをどんどん打ち込むとどうなるか? いや 考えたくはないが、曲がりがひどくなる。曲がったまま打ち込まれて修復ができない。そんな悲しい体験はないだろうか? クギならばまだ良い。ぼくは高校一年の時に数学で0点を取って以来、トラウマで美術へ進路変更した。そう、最初は少しだけ曲がったクギだったのだが、還暦を迎えればもう後戻りも困難だ。曲がったクギを観てシンパシーを覚える。