ivataxiのブログ

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縄文・弥生・古墳時代

浜松博物館は「蜆塚」にある。蜆の塚だったのだろう。海からは離れた山手にどうして蜆がとれたのか?このエリアは縄文時代のなごりらしい。縄文時代は氷河期以降、少しづつ海面が下がっていたようで、当時はそこが海面近く、水辺のムラだったのだろう。もう少し海に近い「伊場遺跡」(JR伊場工場東)は弥生時代のなごり。同じエリアに縄文時代弥生時代の遺跡が共存(一時期両者が共有しただろう土地の食料)することは珍しいらしい。天竜川を渡ると、今度新しいJRの駅ができる「御厨」。弥生時代から古墳時代のなごりが多く出土しているという。天竜川は常に変化して多くは湿地帯だっただろうが、ギリギリ磐田は固定した乾いた土地が広がっていたのだろう。弥生時代は水利が大事だが災害は嫌っただろう。米を蓄えて権力や軍事が生まれ、王権が必要となる。御厨近辺には、古墳時代の王権に関わる出土も多い。過去の都市だったのかも?