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信玄 諏訪の御料人 勝頼

信玄は自らが滅ぼした「諏訪氏」の美しい女性「諏訪御料人」を側室とし「勝頼」を産ませる。だが、すぐ勝頼は母から離された。信玄もあまり側室を訪れず、24歳の若さで諏訪御料人は亡くなったという。だから、後に勝頼が武田の跡取り(実際には彼の息子が元服するまでのつなぎと信玄は思ったかも知れない)となることを見てはいない。
信玄は冷たい人の印象がある。
だが、諏訪御料人は当時の不治の病「ロウガイ(結核)」だったともいう。子供も早く離さないとうつるということがあったのではないか?信玄自身、亡くなったのは「結核説」がある。おそらく、諏訪御料人から菌をもらったのではないだろうか?
息子を早く離したのも、ある意味当時の最高の愛情だったのかも知れない。諏訪御料人も自分の病気を知っていただろうから、より良い選択と納得してくれたのかも知れない。という考えが成り立てば、信玄も意外に優しい人だったのかも?とも思える。