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佐浜 祝田 万石 ナウマン

佐浜 祝田 万石 ナウマン

明治維新、一瞬だけ「堀江県」が存在。すぐに、土地の水増しが発覚して取り消されたという。現在は浜松の舘山寺を中心の南北の広いエリア。浜名湖の東側湖岸を自動車で雄踏から大人見・伊佐見に向かう。そのまままっすぐ走ると「佐浜の信号」がある。そこを左折(西)すると曲がりくねった道。その左側(南)は元々、浜名湖だったそうだ。その道の右側(北)には山地があったのだろう。「うちの裏でナウマンゾウが出た」という人もいた。ナウマンゾウの骨格レプリカが「伊佐見協労センター」に展示している。本物の骨は京都大学だとか(東京の大学説もある)。明治維新の「万石事件」の発端がこの「佐浜の埋立地」。その土は「祝田の坂」作りにも使われた。祝田は武田信玄がきびすを返して徳川軍を追ったスタート地点。当時は「崖」だったというが、現在は自動車で走れる急な坂になっている。佐浜の土を使ったというのだ。黒船が来て、幕府はいずれ開国の予感。幕府の金庫番「井伊大老」は、桜田門外で暗殺。「外国に弱腰」が、理由とされた。だが「徳川埋蔵金のありかを知る」かも知れないという「アポ電サギ」的理由もあったかも?開国後、徳川は金庫に金を残していなかった。埋蔵金はいずこ?井伊直弼大老になり資金が自由に使える立場になり「先祖供養」をかねて、井伊家・りょうたん寺・井戸など、井伊家にかかわる随所を補修している。その折「祝田の坂」も土を盛ったのか?埋蔵金は赤木の山からは出ず、日光東照宮に続き、直弼の行動にも注意。