ivataxiのブログ

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ならの大仏傘

奈良の「大仏の傘」 コウケイ
何気なく見たテレビ。「奈良の大仏」についてだった。1180年・1567年の二度戦火で焼けたが、そのたび再建された東大寺ルシャナブツ像。幕府が「手助けはしないが再建しても良い」という承認を「コウケイ」というお坊さんに与えた。彼は、不眠不休で(木像の目が真っ赤)で、辻辻を回り募金を募る。今の10億円あまりを集め、大仏像を再建。だが、大仏を覆う伽藍までは予算ができず、彼の寿命が持たなかった。ヨシツナに能の観劇を誘われ「弁慶の勧進帳」のシーン(大仏再建で苦労する先人のお坊さんの話を自分に重ねた?)で感無量で泣いたコウケイは、その場でヨシツナに「大仏の傘」を作ることを頼んだ。コウケイは1705年没。大仏の大伽藍は1709年に完成を見た。当のコウケイは肉眼ではなく、心の目で嬉しく見たに違いない。コウケイは、13歳で出家の小坊主の頃「仏に仕える私を雨から守る傘はあるのに、仏様である大仏さんには傘がナゼないのだろう?」と、泣いたのだという。幼子の涙が、後の大仏の完成までの長い道のりを、投げ出すことなくコウケイを歩かせたのかも知れない。