ivataxiのブログ

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テレビで「日航機墜落事故」を取り上げた番組を見た。ぼくは今より若かった。まだ、バイクの中型免許を取る前で50ccのバイクをたくさん持っていた。「maboroshi iro」(幻色・まぼろしいろ)という架空のバイク・車のグループを作ってみた。大学同好会の横浜の男の子とぼくの赤いシャレード(ガソリン)で、静岡を出発し、愛知・岐阜・福井・富山・新潟・福島・埼玉・千葉・東京・神奈川を通り、静岡に戻るという行程を計画した。「日航機の現場を通らずに、ぐるっと一周して来ようぜ」というのが始まりだ。富山・新潟・千葉で同好会の仲間に会った。ただ、暑い夏の日を車で走っただけの日々だった。そう、何も問題意識もなく。「高校の同級生がその飛行機に乗っていた」ということを知ったのも昨年。ネットで調べてみて、その名前を見つけた。彼の息子が未亡人と一緒に彼のお墓を参る姿が新聞で取り上げられた画像もあった。有名人では、坂本九さん(Qちゃん)が乗り合わせたが知られている。生存者も数人。恐らく、そのことに触れない生活をされているのではないだろうか?添乗員だった女性の証言では「パン」という音がしてから他の爆発などの音が続いたようだ。検証された番組で、当時のブラックボックスの音を解析して、後方から金属を伝わる音が先行して室内からの爆発などの音がたたみ込むように残されていた。機体に残されたオレンジ色の塗料・自衛隊の独占した数時間など、謎も多い。製造元からはほとんど情報が上がって来ない。海外の兵器・原発関連会社との関わりなど、すべてが都市伝説となって今もネットに広がり続ける。「クライマーズ・ハイ」という映画も見た。堤真一さんがかっこいい・・と、ただそれだけでも良い映画だが、作者は当時日航機事故に関わった新聞記者であり、このドラマの主人公ともほぼ一致する。同級生はタイヤに焼き着いていたようだ。タイヤの所までは生きて移動できたのに、何故焼きつかなくてはいけなかったのか?彼は中学の海外遠征チームとの親善バレーに選出されたほどの傑出した運動能力の持ち主だった。タイヤの所まで無事に逃げて、そこで焼きつくような人ではないと思いたい。サージェントジャンプ(立ったままのジャンプ)が、1mの彼は、ブロックと同時にジャンプすると、すっかりブロックが地面に降りてからどこにでもスパイクを決めれたから、無敵のポイントゲッターだった。「空からなかなか降りて来ない」という、妙な印象を同じクラブメンバーとして感じていた。その彼は、やはりなかなか空から降りては来なかった。そう、あれから長い時が過ぎた。