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賀茂真淵 奥さんの名前

賀茂真淵 奥さんの名前がわからない

どうも「賀茂真淵の奥さんの名前」がわからない。賀茂神社分家の岡部家に「庄助」として生まれたが、すぐ、別な岡部家へ養子に出された。その家に、実子が生まれ離縁されて戻る。「縣居神社の坂入り口の西に小さく実家の看板」がある。別な岡部の家へ結婚という形でまたもや養子に入るが、妻は17歳で亡くなり実家に戻された。二度の離縁で「仏門に入りたい」とも考えたようだが、先祖は神社。浜松伝馬町の本陣「梅屋甚三郎」の家に再び養子縁組。伝馬町には杉浦国頭(諏訪神社の神官)とその妻、真崎。浜松近郊の国学者が集結した、江戸のシリコンバレーみたいなエリアで賀茂真淵は磨かれて江戸へ。徳川家の学者として歴史には残る。
さて、梅屋本陣の大黒柱として養子に入ったのだが、学問を愛する様子を見ていた妻(名前がわからない)が「遊学」を勧めたという。「すごい女性がいたもんだ」