ivataxiのブログ

絵 文章 映画

1987年

講習会が名古屋であり、普通なら飲み屋をはしごの予定だった。当時所属していた化粧品業界の技術講習だったから、男性はぼく一人で、大きなお店で働いている人・跡取り娘などほぼ20最前後の女性ばかりだった。お昼はお弁当が用意され、夕飯はホテルでバイキングだったかな?10代の人も多いからお酒はなかったかも知れない。数日の講習で、ぼくは一人で夜を過ごす予定だったが「ディスコへ行こう」という話になり、ご一緒させてもらうことになった。大学をもし現役で大阪で過ごしていたなら、20才前後は親元から通い遊んでいただろうが、2年の浪人・専門学校を経て、バイト三昧の大学時代だったから、ディスコは一度だけ友達におごってもらって行っただけ。そいつと殴り合った後で、こっちは顔がボコボコに膨らんでいて、ルックスは最悪だったし、一度きりだったから踊っているというより壁の花だ。「フラッシュダンス」「サタデーナイトフィーバー」の映画を観て、それぞれ一度行ったが「ハマる」ということはなかった。「女子大小路」は「プリンセスストリート」ともいった。人が多い。関西・関東とは違う中部地区随一の熱気だ。どこかの雑居ビルの中のディスコで当時有名な場所だったのだろう。毎日、そこに通って、初日は講習に行く堅苦しい格好だったが、段々周囲の服装に合わせて行った。講習中はやる気のない彼女たちが、踊っている時は輝いて見える。講習の主催者たちはホテルで待ち伏せしていて「帰りが毎日遅いが、女の子たちを連れて一体どこに行っているのか?」問い詰められたが、正直に「ディスコ」と答えた。「あなたにはガッカリだわ」と、いわれたが、講習だけはみんなでマジメに出るという約束で開放され、実行した。昼は講習・夜はディスコで毎日一緒だった彼女らは「戦友」みたいな感じになっていた。最後にそれぞれの場所に戻る電車の待ち合わせ前に、喫茶店で話た。連絡先も聞いたが、次第に年賀状も来なくなった。