ivataxiのブログ

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246

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関東に住んだことがある。花小金井・埼玉新座・新丸子・上野毛・参宮橋・鶴巻温泉だ。特に長かったのは参宮橋と鶴巻温泉。でも自動車免許もなかったし、電車か徒歩で移動の毎日だった。参宮橋の参宮は明治神宮の入り口の一つのある橋と関係があるようだ。乗馬クラブがあり乗馬パンツを履いた同世代の男女は別世界の階級の人たちだ。深夜は怖いから夕暮れ前なら参宮入り口から入り、原宿出口まで良く歩いた。暗くなると明治神宮公園はカップルとノゾキの世界。神宮の外周を歩いて、まだ一軒しかなかった青山のコンビニ(夜10時までだが、著名人も多くここに集まった)へ大阪の中学・高校・神奈川の専門学校・東京の予備校・神奈川の大学など様々な友人たちと喋りながらお酒やツマミを買いに行くことが多々あった。旅先で知り合った青学の友達が加わることもあったが、ここには階級の差を感じた。大学は大根(おおね)だったが少し遠い鶴巻温泉にアパートを借りた。毎日歩いて通うのは若い当時でも骨が折れた。バイトをしないと生きていけない経済状況で、大学から新丸子の薬局にほぼ毎日バイトに通い、参宮橋かに戻り課題をやり、朝刊を配りまた大根まで電車で通うという毎日で成績はガタ落ち・・先生に呼び出されて「バイトを減らすか大学を辞めるか」という選択をつきつけられた。新丸子の薬局のヒゲの似合うオーナーから「新聞配達を辞めてここで長くバイトしなさい」と、持ちかけられた。その変わり「夏休みと冬休みは店を任せ外国旅行に家族で行く」というオプション付きだ。オーナー夫婦はアメリカに住んだ体験があり、アメリカに友人も多いようだ。良くオーナーは新丸子の少し横道を入った小さなカウンターの飲み屋さんに連れて行ってくれた。大学では教えないオトナの男と女の流儀のオリエンテーションという場所だった。大学を卒業して浜松に就職が内定した時「君は他は受けてはならない。それと、浜松で生きて行くなら自動車免許は必要だ」という2つの条件を付けられた。免許を取り、就職した広告代理店の社用車で運転と道を覚えた。一方通行を逆走したり、ソコココにこすったりもしたが、社用車はボコボコで誰も文句を言えなかった。ちなみにミツビシ・デリカ1400ccで、車の思い出はここから始まる。過去にまつわる鶴巻温泉や新丸子・参宮橋を車で通過することがあった。キーワードは「246」国道246号線を地元の人は「ニイヨンロク」と発音していた。大学の先輩が良く246を走って参宮橋から大根まで乗せてくれた。働くようになってから、レコードレンタルという新しい商売が世の中に出始めた。休みの多くの時間を家でレコードからカセットに録音という作業に費やした。稲垣潤一さんの歌「246」のつく歌が参宮橋のイメージなのだ。過去の彼女とテイクアウトの店ですれ違うが互いに違う相手が待っていて、何も声をかけずに目だけでこれまでの時間を互いに伝えて何もなかったように別れて行くというような内容で、あの秋元康氏の若いころの作詞らしい。246を車で参宮橋付近を通り過ぎた時にも「でも過去にはもうもどれない懐かしさ」にほんの少し浸ることができただけだった。