ivataxiのブログ

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焚書坑儒

歴史は覇者が塗り替える物。日本の歴史も何度も塗り替えられたのかも知れないが、残存する物を教科書で習って暗記して良い大学・就職先をゲットできる世の中だ。中国には「焚書坑儒」という言葉がある。覇者にとって都合の悪い学者は埋める・都合の悪い書籍は燃やす・・というような意味だろう。インドには仏教が生まれた歴史があるが植民地化の過程で似たようなことがあったような??ともかく大切な教典・巻物はチベットに持ち去られ巣窟に埋めて秘されたとも聞く。「死者の書」は、たまたま発見されたとか・・。しかし、たまたまというが、偶然は必然で「その世の中に必要な教典がなぜだか発見される」ようなのである。不思議だがそれは図られた必然に驚いているに過ぎないのかも知れない。「ユダヤやフリーエネルギーについて書かれた書籍はメン・イン・ブラックが来て買い占めて、一般の人の目に触れないようにする」という都市伝説も以前聞いた。今は、ネットに情報が溢れすぎて却って何だかわからない。「図書館戦争」の背景・設定にはこの焚書坑儒的な考えがあるように思う。昨年民主党によりネット監視の締め付けが厳しくなりより不自由になった。現在の自民党がより自由化したとも思えない。また、このお話の中にある原発の危険性は「311」以前に構想された物と思われ作者の先見性に見とれた。チベットでどうして「マンダラ画」を砂で描くのか?とても疑問だった。目の前の僧に見せて教え、同じ絵を何代も描けるようにし、絵の中に真理を託したのだろう。もし見つかっても砂の絵をかき消せば焚書坑儒のような人・物を消すということには当たらない。蓮如が襲われて大切な教典が燃えるのを阻止しようと、弟子の一人は腹をかっさばいて中に教典を保存し自らの肉体は燃えても教典を守ったという。それに近い考えなのだろうか?あの織田信長でさえ宗教の持つ脅威を亡き者にしたいと願った節もある。時の覇者とはそんな風に思う者なのかも知れない。