ivataxiのブログ

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ルドン

白黒でも良い ルドン

ルドン展の白黒画が一番気に入った。
カラーの時代になると個性が消えて他の作家の真似に見えしかも未完成な感じ。
白黒静止画を使い動画にしたのも展示してあった。
どうやってやるのかわからないけど、ああいうのができると良いな。
大きな目の細長い足のクモが画面一杯に走り回るのが、気持ち悪く・気持ちいい。
ルドンはテンカンの治療もあり故郷を離れた時絵の師匠と出会ったようで、
最初のデッサンの中に彼の異常な部分がチラっとかいま見える時「下手なのかな?」
と思ってしまった。突然サナギが蝶になる瞬間を絵の変化に見る。
人間の頭部の下が植物になっていたり、見開かれた眼球が気球になって下に
人間の頭部を吊った絵などだ。眼球はテーマになって、有名なのは眼球のクモ。
途中から目を閉じた人間をモチーフにするが「目を閉じて見る」
という内面鑑賞を意図しているのかも?
最初は女性のイメージがないのに途中から女性のスケッチが現れる。
白黒の時代が土地の売却の頃終わりをつげるが、
その頃からカラーとなり女性の絵が増える。
残念なことにその頃からぼくに取っては見る物が感じられない。
自分の中に「白黒はカラーに劣る」というコンプレックスがずっとあったが、
シロクロの強さをルドンの絵の中に見て「シロクロも良いじゃない!」
と思えるようになってよかった。
エッチングリトグラフは見たことはあるがやったことはない。
大学は芸術とデザインが別れていた。
エッチングリトグラフは芸術に、シルクスクリーン・写真はデザインに領域設定されていた。
そんなこともあり「リトグラフエッチングは芸術でシルクスクリーンは商業美術なのだろうか?」
という考えが生まれた。
アンディーウオーホールはシルクスクリーンのモンローやキャンベルのカンズメなどで有名だが、
人は彼を芸術家と呼ぶ。
アンディーウォーホールは映画にも手を染めていて、
当時珍しかった3D(今の立体眼鏡じゃなくて緑と赤のセロファンを張った厚紙の眼鏡)
映画「悪魔のはらわた」なども制作。
ぼくはあれを見て気持ち悪くなり以来、ホラー映画と3D映画にアレルギーを持つ一人になった。
もしアンディーウオーホールが地味にシルクスクリーンだけの人で
パフォーマンスをしない芸術家だったら少し世界もぼくの価値観も変わったのかも知れない。
当時「絵の写実描写のうまさが価値がある」という長い時代から、
物の味方・考え方・コンセプト・パフォーマンスが先行するアートに座を譲る過渡期だったのかも知れない。
思えばわかりにくい時代の変遷だろう。
印象派シュールレアリズム・立体派などの渾然一体の100年前のヨーロッパに生きたルドンは
まるでシェルターの中で自分の世界を白黒で描き続けたみたいに思える。
誰からも価値を認められなくても、自分の中の羅針盤に沿って生きて死んだ地図を絵の変化に見とれる。
そのタイムカプセルを今の日本で開けて見せてもらって共感できる人も当時よりは多いと思える。
少なくとも水木しげるさんの絵には早くから色濃く影響を感じるし、
今の日本で水木しげるさんの生きざま・漫画が受け入れられる土壌があるということが、
類似のルドンにとっても幸福な変化であったと思えるのだが。