ivataxiのブログ

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退院

退院
もう一度「入院」といわれても困る。ともかく、今回、検査の結果退院となった。6人部屋の昼前は、すでに退院した人、まだ入院して来ないベッド、散歩に出かけた患者さん、手術の準備の患者さんなどで、一人きりになった。看護婦さんが「淋しくなったね・・」というので「ジーン」としたら、続きがあった。「・・みんないないと!」というのである。一瞬、自分の中に入り込み「ジーン」と、したのだが、一人思い込みが強かっただけらしい。みんなに世話になった。これは、紛れもない事実である。そのことで「顔も見たくない」と思う人は顔をそむけた。でも、あんなに世話になったのに、淋しそうに見送ってくれる人も皆無ではなかった。「良かった!」患者は、みんなの世話にならなければ、何一つできないのだから、もう「おまかせする」しかない、弱さになりきった存在・・という体験であった。ともかく、外の空気がいかに冷たくても・・退院を迎えたのである。

お散歩・限りなく時速0kmに近い理由
微妙である・・!世の中、受験・進学で微妙な時期なのである。散歩にいっても、あちこちで長話してしまう。歩数はたいしてないのに、時間ばかりが経ってしまう。時速に換算すると・・かぎりなく時速0kmに近い・・というのが、問題なのである。

退院後も大変
社会保険事務所や病院に行って来た。仕事に復帰するにも「書類を出せ」と無理難題。人手が余っているのだから「来なくて良いよ」とも聞こえる。なおさらしがみついて「捨てないで~」という様相・形相になるのである。だが、退院後まだ日が経っていないからか、病院は懐かしい。事務的な用件なので、事務・会計としか話をしないけれど・・。看護婦さんたちにも会いたいが、会わずに帰った。半分病人なので、ともすると病院に里心である。だが、お金がかかるから・・早く元気にならないと。

バンジージャンプの順番が回って来た時
自慢じゃないが、自慢できる人生でもない。ともかく、お医者様の診断書の自宅療養が終わった。家の近くをブラブラしていても、近所の噂話のターゲットになり、それはそれでタイヘンである。だが、普通に働く環境に飛び込むのもタイヘンだ。「バンジージャンプの順番が回って来た時」のような気持ちだろう・・やったことないけど。一日が終わった・・何も手につかず・・ただ、眠りをむさぼった。

一ついえば 二つ返って来る
「入院はどうだった?」と、聞かれ一つ答える・・。すると、質問を発した人は二つ以上、自分の入院体験を話す・・。そういう物らしい。

退院後の病室
退院後に時折、検診で病院を訪れる。エレベーターで該当のフロアまでは行ける。だが、病室が並ぶ通路に立つと、ナースステーションがあり、知った顔のナースたちも見える。なのに、それ以上は入って行けないのである。「ここに・・何しに来たの?」と、もしも訪ねられたなら・・一体、何て答えれば良いのか良くわからない。何だか「もうここには着てはいけないよ」と、誰かがささやくようにも思えるのである。

 

スポーツ禁止
脊髄に穴が開きやすいらしい。それで、今回退院したものの、水泳・自転車・ランニング・ウエイトトレーニングが禁止になった。それって、過去にやっていたことばかり・・。だが、そんなことばかりやっていたツケが、今回の脊髄に開いた穴の原因なのかも知れない。過ぎたるは及ばざるがごとし。ともかく、散歩は良いのだとか・・。ゆっくり、景色でも楽しむことにする。

病気自慢
今回、入院・退院で、ほぼ2ヶ月ほど自宅を離れた。だから、ご近所で「最近、見なかったね?」などと、声をかける人もいる。それで「実はね・・」と、こちらの入院話を始めると。「いやぁ~、私が入院した時なんかね・・」と、もっとすごい話を聞かされるハメになる。みんな、自分からは話さないものの、入院体験というものは持っていて「自慢」したいという欲求を秘めているのかも知れないとも思えるのである。結局、こちらが先方の「入院体験自慢」を聞く・・ということも多いのである。

おやじ見舞い
オヤジは60歳で亡くなったのだが、亡くなる前の18年間を病人としてすごした。なので、離れて暮らしてはいたが、時折、お見舞いでベッドの横についていた。見舞いに来た弟が「見舞いに来てオヤジを思い出した」という。オヤジもベッドでは、寝たままだった。オヤジが見ていた見舞い客の光景を、改めて体験することになろうとは?だが、少しオヤジの心の中がわかったみたいで嬉しくもあった。

通院日
なにかと、病院に文書をお願いしたり、お医者さんに診断書などを書いてもらったり・・。すっかり、病院から足を洗う訳にはいかない。昔は旅は歩きだったから、わらじを脱いで、ホコリっぽい足を洗ったのだろう・・。だから、一区切りつかないと、なかなか足も洗えない・・ということなのだろうか?通院を兼ねて「以前自分が入院していた病室や看護婦さんたちを訪ねたい」という気持ちが「フッ」とよぎる。でも、辞めている。そこに行って、一体何を話すというのか?先方は何を答えるというのか・・?色々考えると、やはり通院・会計で帰って来てしまうのである。

異常にゆっくりと歩いている
後ろから杖をついた人が近づいて来る。しばらくしてみごとにブッチギられた。といっても、杖の人が早いのではない・・。こちらが、異常にゆっくりと歩いているからなのだ。普通に歩いているようでもまだ、病み上がり期間なのである。横道に入ると、舗装路とはいえ、まだまだ細道でゆるやかに曲がったような所もある。車が近づくと、今では自動車も大きくなっているので、道端にたたずむ。そこには小さな花が咲いている。白いのや紫のもある。「くやしい」そんな小さな花たちの名前を知らない。有名な「チューリップ」や「菜の花」なら知っているのだが・・と思った。

病院に半分心が向かう
元気になりつつあり・・また、そうでなくては、いつまでも働くこともできず、困るのである。だが、心という捕らえどころのない物は、健康になる肉体とは反対に、後ろ向きな所もある。病院で安穏・ヌクヌク生活に戻りたくもある。だが、病院は健康な人が行くべき所ではないのもわかる・・。時折、事務手続きなどで訪れる時に「やはり、自分の居場所でもないのだ」と、少しずつ納得させて行くしかないのだろう。