ivataxiのブログ

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文丘

浜松の文丘(ふみおか)という場所は、城北の西。静岡大学などがあり、文芸・学問に関係があるから「文丘」なのだろうか?でもそうでもないそうだ。「静岡大学」以前からその名前だったという。静岡大学の北には「練兵場」だった。その前は「凧揚げ会場」の公園だったようだ。三方が原から徐々に海に向かって勾配が下がる地形の尾根にあたる平原。水の被害には過去から強かったはず。なので、過去からの文書(もんじょ)を守るには良い地の利だったのだろうか?磐田の見付近辺にも過去からの図書館があり、天竜川・太田川の氾濫からも、守られた地形だったからだろうか?

タバコ・沈静

どうしてタバコが今存在するかというと、コロンブスがインドと間違えてアメリカ大陸に渡った時に「タバコ」と「梅毒」を持ち帰ったことに起因。まだそこがインドだとずっと思っていたようだけど「アメリゴベスプッチ」が「アメリカの名づけ親」ということに。タバコが辞められない理由には快感というか依存性にあるようだ。ニコチンは急激に減らすと精神的に耐えられないほどの禁断症状に陥るという。実父も義父・義母もヘビースモーカーだったから、ぼくは間接的にヘビー受動喫煙家といえる。一旦他の人の肺から出たタバコの煙はさらに体に悪いそうだが、逃げることはできなかった。

駅・灰皿

駅で最近見なくなった物の一つに「灰皿」もある。「何それ?」というほど昔のことではない。本当につい最近。新百合ヶ丘の一角に10年前まであった「喫煙スペース(屋外)」でさえ、最近行ったら撤去されていて驚いた。「禁煙マーク」があるだけ。携帯灰皿にちゃんと吸殻を捨てる人は何%いるのだろう。その辺に捨てる人だっているだろう。最近は「ベープ」というか電子タバコを推奨しているようで、ニコチンはちゃんと体内に取り込まれるから暴動は起きていない。アメリカではアップルは「電子タバコの広告を載せない」ようだ。これが原因とみなされる死因の問題が未解決だからだとか。「ならどうすればいいのだ?」と、愛煙家は思うだろうが「知るか」という世間の対応。コロンブスアメリカ大陸からもたらした「タバコ」と「梅毒」。どちらも21世紀の今も問題。

痰壷(たんつぼ)

現在の駅は清潔だ。清潔すぎるともいえる。昭和の駅には「痰壷(たんつぼ)」があった。というか、なくてはならない器物だった。痰壷とは「たんを入れる壷」のことで、たんとは、のどにひっかかるネバネバした分泌物のこと。それを駅のあちこちに所かまわず「くあぁ~っ。ペッツ」と吐くのが当時当然社会。それを駅員さん(まだJRじゃなくて国鉄)が、掃除するのが大変ということで、設置された。今ではもう見なくなった「痰壷」。でも若い人でも平気でその辺にツバをはく行為はみかけられる。

吉田兼好・滝口の武士

まんが「徒然草」では、吉田兼好は「北面の武士」とあった。「滝口の武士」とも呼ばれるようで、当時の公家・皇室との面識もあったようだ。出世・物欲・権力欲の薄い若い卜部兼行がなぜ30歳になる前に出家・遁世したのかがわからない。なので、マンガでは「当時の貴族の女性との道ならぬ恋」や「北面の武士の同僚(親友)の戦死」などが推理される。のちのち後醍醐天皇への恨みが何度もエピソードを変えて描かれている。道ならぬ恋に一票。

鴨長明・啄木

鴨長明は「方丈記」の作者として歴史に残る。賀茂神社禰宜となる予定が、政権闘争で追いやられ、和歌・琴・琵琶にたける。琵琶の師匠が亡くなり、禁止されていた「啄木」という演奏をしたことが知られて追放、方丈にこもるきっかけとなったという。石川啄木はこの件と関係して「啄木」と名乗ったのだろうか?

琵琶橋

浜松東海道植松あたり。浜松いわた信用金庫のある橋は「琵琶橋」という。浜松ではないが、他の場所の「琵琶橋」のいつわ。盲目の法師が「ここはどこですか?」と村人に聞くが、村人はとりあわない。法師は琵琶を演奏していた。しばらくのち、川から琵琶が流れて来た。おそらくその持ち主の法師が亡くなって琵琶が流れたのだろう。その場所に「琵琶橋」と名づけたようだ。浜松の琵琶橋にはどんなエオイソードがあるのだろうか?